この世界の片隅に
2017年 08月 14日
お盆の日曜日、朝早々にお寺さんが来てくれたので、午後から時間が出来た。 お墓参りも、11日の朝の曇っていて涼しい間に済ませていたし。 夫は午後から友人たちとマージャンなので、三宮まで一緒に出かけランチを食べる。 休日とあってどこも凄い人出、行列もあちこちに出来ていたけれど(やっぱりお肉系が人気のよう)、普通の喫茶店で、1時までやっているモーニング!で、サンドイッチとアイスコーヒーのセット600円をいただく。 玉子にハム、トマト、きゅうり、ツナとちゃんと入っていて、薄い食パンで挟んであって、コーヒーともども美味。 夫は阪神の勝ちゲームのスポーツ紙と将棋欄を熟読。 夫と別れた後、夜まで時間があるので「映画でも」と思ったけれど、何しろお盆映画はお子様向けばかりなので、テレビで誉めていた「この世界の片隅に」を観ることに。 世間で圧倒的に賞賛されている映画だけれど、私は正直、いまいちだった。 たぶん、今まで散々戦争ものを、ドキュメント、ドラマ、映画と見過ぎているのかもしれないけれど・・ 正直長過ぎた。途中退屈。特に前半の主人公がお嫁に行くまでの日常はちょっと長過ぎたのでは? それと、何だかバランスが悪くていびつな映画だと思った。 風景や町並みなどの描写が細密で、リアルで美しいのは文句のつけようがない半面、ドラマがとっぴで不自然さが目立っている。 リアルな日常や生活を描こうと思うなら、なぜファンタジーの要素を持ち込むのか? 戦争の悲惨さや平和な日常の美しさを描きたかったのか、主人公のロマンスを描きたかったのか? 心の向け方が分からず、分裂されて、もやもやが残った。 一番の唐突感は、呉の空襲で主人公を襲う悲劇。あまりにも残酷で耐えがたい悲劇。 なのに、その後の主人公の葛藤や家族の反応はあまりにも薄くて真実味に欠ける。 一つの家族を決定的に分断してしまって当然の出来事なのに、そのまま一つ屋根の下で暮らしていくなどということが、ありうるのか。 針のむしろで私なら耐えがたい。実家に帰ることも考えて当たり前。家族にとっても彼女の顔を観ることすら耐えがたいのでは? ずっと続く平凡な日常を見て来ただけに、この突然の変調はあまりに衝撃的! こんなことを淡々と受け入れられる人などいるはずがない。 また主人公が広島生れということだから、観客はいずれ実家に起こる悲劇は予測できるし、ピカッと光った瞬間に何が起こったか理解はするけれど、その後の主人公や家族の反応ものんびりしている。義父が空襲後、行方不明になった場面でもそう。 とにかく、ドラマの中にのめりこませてもらえないのだ。 もうひとつ余計だと思ったエピソードは主人公の同級生の男性が突然訪問してきて一泊する場面。 同級生というだけで、既婚女性の嫁ぎ先に来て泊るという非常識な行いが、いくら戦時中だとは言え、許されるのか? 「話すことが沢山あるだろうから行っておいで」と主人公の夫がふとんを敷いたお蔵へと主人公を送り出すと言うのも、信じられない。 日常の具体的な事物の描写がリアルなだけに、物語の不自然さが際立つ。 原爆を描いた映画では「黒い雨」や「TOMORROW明日」という傑作があるし、戦争を描いたアニメでは「火垂るの墓」も良かったけれど、この映画は呉という戦時中の特殊な町を背景に、一人の個性的な女性の生涯の伴侶との出会いと運命を描いた女性映画だと思った。 主人公はボーッとしていてのんきな女の子という設定なのだから、そのキャラに合った物語にして、戦争下の日常とロマンスを淡々と描いた映画になっていたら、退屈だったかもしれないけれど、こんなに落ちつきの無さを感じなくてもすんだかもしれない。 亡くなった父は20年3月13日の大阪大空襲で、母と妹を防空壕で亡くし、遺体を自分でリヤカーで運んで荼毘にふしたそうだ。防空壕で亡くなると言うのは「蒸し焼き」ということなんだろう。父が戦争のことを語ることはほとんど無かった。 これは映画とは全く関係ないことだけれど、B29の大編成の空襲の絵を見ながら、「次に戦争が起こったらこんな風景は見ることはないんだろうけれど、ヒロシマの人が見た閃光を見ることはあるのかもしれない」と思わずにいられなくて、過去の戦争よりも現在の脅威の方が勝っていて心底怖かったと言うのも、映画が楽しめなかった大きな原因かもしれない。 |
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by nepleurespas | 2017-08-14 20:02 | 映画

